読書狂時代

ブックレビュアー・はるうがお送りする書評、読書コラム、本に関するアレコレ。

まさに雲をつかむような話【雲】(エリック・マコーマック)

 

仕事で訪れたメキシコ。

雨宿りのためにたまたま入った古書店で見つけた一冊の奇妙な「雲」について書かれた本。

その本がハリーの運命を大きく変えることになる……。

 

 

帯に、

古書店で見つけた一冊の書物には、黒曜石雲という謎の雲にまつわる奇怪な出来事が記されていた。

なんて、書いてあるものだから、てっきりその雲にまつわるファンタジー小説だと思って読んだら、とんでもない!そんなメルヘンな物語ではまったくなかった。

 

物語の大半は、主人公・ハリーの半生について。

手痛い失恋、そこからの船旅、船旅の先で出会った個性豊かな人たち、とある人物との出会い、その人物に今の仕事に就かせてもらい、妻をめとったこと。

ラストは古書店で見つけたその「黒曜石雲」の本についての謎解きがされるのだが、意外にも「謎が解けたぞー!」というカタルシスは少なく、少々、消化不良になるに感じるかもしれない。

 

私はきちんと大学とかで文学を勉強したわけではないので、文学の素養はないに等しい。

好き勝手に本を読み散らかしてきた身から言わせてもらうと、正直、読み終わった瞬間は「私はいったい何を読まされたんだ?」と思ってしまった。

私が求めていたのは「黒曜石雲」という奇妙な気象現象に対する答えだったので、正直、その古書を誰が書き、どういうルートで出回ったことかなんて「どうでもいー」と思っていた。

 

主人公・ハリーがその古書に入れ込んでいたのは、その奇妙な気象現象の舞台が手痛い失恋をした地だったから。

最愛の人から裏切られた地を逃げるように後にして、ハリーはその後、一切その土地の土を踏むことはなかった(の、はずだが……?)。

だからこそ、晩年に差し掛かった(と思われる)時期に、仕事先の異国でその古書を見つけてしまった瞬間、すべてが動き出した。

ハリーの異常な入れ込みように、私の「どうでもいー」という思いが砕け散った感が瞬間でもある。

 

全体的に、感情が抑えめの文章で、起伏が少ない。

故に、登場人物たち全員に「この人たち感情あるのかな?」なんて思ってしまう。

確かにハリーは失恋にひどく打ちひしがれていたし、悲しそうではあったし、大切な人を亡くてしてしまったときは落ち込んでもいた。

でも理性が働きすぎて声を荒げることもなければ、泣きわめくこともない。

「己の中ですべてを解決する」という人たちなのかな?

だとしたら、ハリーが行く先でベラベラと自分の失恋のことを喋るのは、「失恋を解決したい」のではなく、「聞いてくれよ、俺はこんな痛い失恋をしたんだよ」という自己憐憫の現れなのだろう。

 

読了して数時間経って思うのは、「読んでよかった」というじわじわと湧いてくる感覚があること。

絶対に退屈な読書ではないし、物語は本当に「雲をつかむような話」という感じで現実的なのにところどころ荒唐無稽。

「めっちゃ楽しー!」という物語ではないけれど、湧き上がる「いい話だった」という思いに浸りたい。

 

最後に、

 

ハリー、性に奔放すぎるよ!

 

 

はるう

 

 

 

 

 

 

取っ払え合理主義【生霊の如き重なるもの】(三津田信三)

 

 雪の中をひとりでに歩く下駄、竹藪に消えた子供たち、屍蝋となった教祖が裏切者を襲い、ドッペルゲンガーが現れると死ぬ当主、幼いころ空き地に消えた友達。

学生時代の刀城言耶が解き明かす5つの事件。

 

 

ホラーミステリというジャンルでくくられるこちら、「如きむもの」シリーズ(と、私が勝手に呼んでいる)は長編がメインとなっている。

が、こちらは短編集なので、気軽に読むことができる。

 

1つずつ見ていこう。

 

「死霊の如き歩くもの」

言耶が恩師の紹介で訪ねた教授の家で起きた奇妙な殺人事件。

一人でに歩く下駄という不可解なものを目撃した言耶は、担当刑事に疑われてしまうが……!?

 

世界の民族を研究している人間の集まりなので、物語の最初に語られるスグショウ族という民族の怪異譚が不気味。

事件にそのスグショウ族のものが関わっており、事件は異様な展開を見せるのだが、なんというか、この事件の担当刑事の曲矢という人の癖が強くてそこがかなり面白かった。

当たり前なのだけれど、素人の言耶が「下駄が勝手に雪の中を歩いてた!」と言い、探偵まがいのことをするもんで怒る、怒る。

あまりにも言耶を疑い、叱るもんだからだんだんかわいそうになってくるぐらい。

結局、言耶の目撃した不可解な下駄のことをきっかけに一緒に事件を解決するのだが、この刑事さん、私、好きである。

事件は痴情のもつれと思われるが、4人の男性研究者が一つ屋根の下、一人の女性を巡って腹の探り合いだもので、そりゃ、爆発するよな。

 

「天魔の如き跳ぶもの」

天魔を祀る竹藪の中で消えていく子供たち。

どうやらその屋敷にいる癇癪持ちの老人が関わっているというが……?

 

言耶の先輩・阿武隈川烏が登場。とんでもない人でかなりびっくりした。

事件はこの阿武隈川烏が「奇妙な屋敷神を祀っている家がある」ということを話したことで始まるのだが、この事件、結構ゾッとする終わり方である。

ホラーミステリなので当たり前なのだが、昔、ここまで読んであまりにも怖くてやめたちゃったという経緯があるほどある。

天罰が下ると言えば体はいいが、合理的な説明なしに終わる余韻がなんとも奇妙で、不気味。

「天魔」というのも実態がまったく分からず、自分でどう解釈してよいのか分からない……。

 

「屍蠟の如き滴るもの」

教祖だった父親が即身仏として埋まる小島がある屋敷に住む、怪奇小説を趣味で書く大学の教授。

自身の怪奇小説を読んでもらうためにその教授のもとを訪れた言耶は、またも不可解な殺人事件に遭遇する。

 

「屍蝋」とは死体がなんらかの理由で腐らずに、蝋化したものを指す。

私はミイラの類が大好きなので、この事件は鼻息荒く読んだ(屍蝋はミイラの一種)。

教祖だった父親を裏切った教団の幹部のもとに、屍蝋となった教祖が現れて、その幹部が次々と亡くなっていき。

これは呪いか?

しかし、この屍蝋とはあまり関係のないところで殺人事件が起きてしまう。

ミイラ自体は好きなんだけど、ちょっと後味が悪いのだ、この事件。

事件の幕切れもそうだし、その後の怪異の様相もなんとも言えない雰囲気が漂う。

ホラーイヤミスが好きな方へ。

 

「生霊の如き重なるもの」

恩師からの紹介で言耶のもとへと相談に来た先輩の父親の実家は、その当主の生霊が見えると死ぬという言い伝えがあった。

病弱の長男が亡くなり、出征した次男が帰ってきた。

それも2人。

 

いわゆるドッペルゲンガー的なものの事件である。

偽物の次男がどっちか、というのを言耶に推理してほしいと先輩に頼まれて先輩の父親の実家を訪れるのだが、本物か偽物か、どっちかが自殺してしまう。

うーん、これも何というか、後味悪め。

言耶が解いた事件の真相が果たして、それは本当に先輩に話してよかったのか?と思わせられる(まあ、状況証拠だけだもんでね)。

ラスト、背筋も凍る展開が待っているので、覚悟してお読みください。

 

「顔無しの如き攫うもの」

たまたま(半ば強引に)参加することになった怪談会で、メンバーの一人が幼いころに体験した友人の消失事件。

言耶はその事件について推理するように言われるが……?

 

戦後の特殊な住宅事情が関わっているので、載っている図をよおく見てもちょっと想像がつきにくい。

そして、戦後の特殊の文化(物売りなどが家を訪ねるなど)が関わっているのは、珍しくて興味津々だった。

が、事件自体は恐ろしく、言耶がたどり着いた真相もかなり恐ろしい。

ただし、これは戦後の文化内でしか成立しないであろう事件なので、現代では通用しないと思う。

だからこそ、面白く読めるのではないだろうか。

 

 

根本に残る怪異はすべて解決しない。

ある意味、不完全燃焼。

合理的にすべてを解決しない。

「え、つまりそれって……?」という読者の疑問に、(そう、あなたが思っている通りですよ)という、作者の声が聞こえてくるようで、読んでいるこっちもニヤニヤとしながら作者の術中に気持ちよくハマるといいと思う。

ちゃんとホラー色強めなので、苦手な方はご注意を。

 

 

(余談のですが、私、これを真夜中に読んでいたんです。

歳を取ると怖いものが変わるって言いますけど、まったく怖くなく、楽しく読んでしまった自分の強く、図太くなった神経に、ちょっと驚きました)。

 

はるう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月の読んだ本のまとめ【転換期を迎えた5月】

5月の読書メーター
読んだ本の数:5
読んだページ数:1373
ナイス数:52

異形のものたち: 絵画のなかの「怪」を読む (NHK出版新書 651)異形のものたち: 絵画のなかの「怪」を読む (NHK出版新書 651)感想
西洋絵画に描かれた「異形」について、丁寧に、それでいて描かれた背景なども優しく解説にしてくれる。中野京子さんの本は割と読んでいるけれど、語り口が真面目になのにどこかお茶目な風も感じられて、肩を張らずに西洋絵画について学べる。今回は人ではないいわゆる化け物類いについてだけれど、私は男性ではないけれどそう言った「異形」について惹かれる。たぶん、会いたくはないんだけど、どこかでそういう存在がまだちゃんと「在る」ということを信じていたいんだと思う。見えないだけで、ちゃんといるって。
読了日:05月28日 著者:中野 京子
生物はなぜ死ぬのか (講談社現代新書)生物はなぜ死ぬのか (講談社現代新書)感想
生物学的に学ぶ「なぜ生き物は死を迎えるか」。書いているのが生物学者なので、割と専門用語が多くて、難しい面もある。私は高校の時に「生物」に2年間もやっていたので若干懐かしい部分も。第1章から第4章までが、第5章で語られるこの本の根本「なんで人間って死んじゃうんだろ?」ということの壮大な前振りだと思って読んだ方がいいかもしれない。でないと、ちょっと理解できない部分も多い。死生観は変わらないかもしれないけれど、「死ぬ必然性」についてガッツリ学べる。
読了日:05月23日 著者:小林 武彦
夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)感想
再読なのか、初読なのか、なんか読んだことある気がするし....。初読の気分で読了。純粋なんだけど、どこかネジが飛んでおり、登場人物たちの頭のネジが外れているかと思えば、世界観までネジが外れてる。あぁ、そんなことより私も黒髪の乙女になりたかった。こんな奇妙な大学生活送りたかった。こんな愉快な学生が送りたかった。失礼な奴らにおともだちパンチをお見舞いしたかった。偽電気ブランも飲んでみたい。おかしな世界なのに、こんな京都に行ってみたくなる。もりみーの描く京都は魔鏡である。
読了日:05月12日 著者:森見 登美彦
モンタギューおじさんの怖い話モンタギューおじさんの怖い話感想
森の奥の屋敷に住むモンタギューおじさんがエドガーに話すゾッとする物語たち。英国ゴーストストーリーという感じで、日本のホラーとは明らかに違う。自業自得な物語たちだったり、ちょっとミステリ風味だったり。日本と英国での恐怖や不気味さを感じるものの違いがはっきりしていてそこがかなり新鮮だった。私のお気に入りは「額ぶち」。ほんのりミステリで、己の心の闇がズバッと現れており、幽霊や不気味な存在が登場しないのに、かなりゾッとし、ラストは背筋が凍る。
読了日:05月08日 著者:クリス プリーストリー
世界SF作家会議世界SF作家会議感想
世界のSF作家たちが話し合う日本や世界の未来について。「人類は何で滅亡する」というテーマがかなりずば抜けいた。私は「人類は人類自身のせいで滅亡する」と思ってる。テクノロジーや宗教や文化によって人類が滅亡することになったら、それらは人類が創り出しものだから、人類自身の手によって滅亡したと言ってもいいのでは?と思っている。滅亡しない手を考えるのがいちばんなんだろうけど.....。
読了日:05月03日 著者:新井素子,冲方丁,小川哲,高山羽根子,樋口恭介,藤井太洋,劉慈欣,ケン・リュウ,陳楸帆,キム・チョヨプ,森泉岳土,宮崎夏次系,大橋裕之,いとうせいこう,大森望

読書メーター
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 5月は私にとって仕事に関する大事件がありまして、あまり冊数が読めませんでした。 仕事そのものも大変で、ストレスで肌荒れが!(今も治っていない)。 でも、このブログも新たに始めることができたので、リスタートした月でもありました。 6月もたくさん本が読めますように。 企画とかも考えて、やりたいなと思っています。   はるう

スキャンダルは一先ず置いておいて【名画で読み解く プロイセン王家12の物語】(中野京子)

 

長い群雄割拠の時代を経て、19世紀、プロイセンのホーエンツォレルン家はついにドイツを統一し、帝国を形成してヨーロッパ最強国の一角に食い込んだ。

名画とともに読み解く、プロイセンの歴史とホーエンツォレルン家の歴史。

著者の人気シリーズ第5弾!

 

 

プロイセンという国はもちろん今はなく、現在は私たちもよく知っている「ドイツ」という国なっている。

ドイツのイメージと言えば、じゃがいも、ビール、メルケル首相……。

そういえば私、そんなにドイツに対して「何か」の強烈なイメージを持っていないことに気づいた。

ヘタリア」という国を擬人化したアニメをちょっとだけ見ていたとき、ドイツは金髪の軍服の屈強な男性に擬人化されていた。

つまり、ドイツってそんなイメージなのだ。

軍服で、屈強で、なんかどうしようもなく「強そうだな」というイメージ。

 

実際、この本を読むと弱小で、いろんな国との様々な折衝や裏切りや戦争を経て領土を拡大していったプロイセンもといドイツということがよく分かる。

そんなプロイセンを仕切っていたホーエンツォレルン家(著者も言っていたけれど、すんごく言いにくい。ドイツ語は日本人には発音しにくいのかも)。

なんとも、あまりスキャンダラスではなく、真面目な感じを受けた。

 

前回、ハプスブルク家のこのシリーズを読んだのだけれど、血族結婚を繰り返すわ、血を守るためにひたすら娘を嫁がせ、嫁がされをするわ、王族は処刑されるわ、革命が起きて血みどろだわ、とにかく話題に事欠かない王朝だったために、こちらのホーエンツォレルン家はシンプルな世襲をし、ホーエンツォレルン家を守り、領土拡大をし、戦争をし、外交をし、えっと、なんかヨーロッパ史好きとしては物足りない……??

 

ドイツ人は質実剛健で、真面目で、勤勉と言われている(そこは日本人にも通じるところがある)。

華美なものは求めず(と、言いつつもフランスにかぶれていた時期はある)、なんというか、歴史にも真面目さを感じる。

富国強兵といえば日本も目指していた時期があるけれど、プロイセンはそこを地からいって、本当にそのまま成功を収めた。

結果的にプロイセンはドイツという国になってしまったけれど、同じ富国強兵を目指した日本と何が違ったのだろう。

一時期的には、どうして成功を収めたのだろう。

そこを考えてみると、ちょっとおもしろいかもしれない。

 

よりスキャンダラスな歴史を求めて読んだけれど(芸能人のスキャンダルよりよっぽどおもいしろいから)、なんとも真面目に国を作った人たちの歴史がそこにあって、ちょっとだけヨーロッパ史を見直してしまった。

ごめんなさい、ドイツさん。

 

 

 

はるう

 

 

 

「死ぬ」ということが「必要」である【生物はなぜ死ぬのか】(小林武彦)

 

 遺伝子に組み込まれた「死のプログラム」とは?

死生観が一変する、現代人のための生物学入門。

すべの生き物は「死ぬために」生まれてくる。

 

 

この本は、倫理的なことや哲学的などを抜きにして、科学的な方面から「人間は死ぬ」ということにアプローチしている。

つまり、お坊さんが説くように「徳を積めば」とか「諸行無常だから人は死ぬ」とかではなく、「なぜ人間を含む生物には死というものが訪れるのか」ということをとうとうと生物の仕組みや進化の過程を交えて説明してくれるのだ。

 

私は高校生の時に2年間「生物」の授業があったので、細胞の仕組みだとか、ミトコンドリアだとかはかなり懐かしく感じた。

たぶん、私と同じように生物の授業を受けていた人には、学生時代をうっすら呼び起こす内容ではないだろうか。

 

帯の惹句に「死生観が一変する」とあるけれど、正直、これは帯が悪い。

人によるかもしれないけれど、この本を読んで死ぬのが怖くなくなるだとか、死を受け入れられるようになるだとか、そんなことはたぶんないと思う。

だって、死んで戻って来た人はいない。

体験したらそれで終わりだ。

だから、「死」というものの先を説明してくれる人がいないというのに、生きている人間が「死」を説いても、正直説得力ないと思いません?

 

この本を読む人は、第1章から第4章までを第5章で語る「そもそもなぜ生物は死ぬのか」という部分の壮大な前振りだと思って読んだ方がいい。

第5章は科学的なアプローチを抜きにして、「生物が死を迎える必要性」について語ってくてる。

なので、第5章はちょっと頭を柔らかくして読めるのだ。

 

確かに「死」というものは、自分が死ぬということも、近しい人が死ぬということも、ペットが死ぬことも受け入れることはできない。

ただ、自分の考え方にこの本の内容があると、ちょっとは「死」というものへの思いを変え、恐怖を軽減できる、かもしれない。

 

はるう

 

 

 

BOOK NEWSLETTER vo.1とデザイン書評について

f:id:haruu0905:20210528215528j:plain

ニュースレター

こんな本のニュースレターも作っていく予定です。

こちらは先月のもの。

デザイン書評など、見た目にも楽しい本の紹介ができたらな、といろいろ読書の企画など考え中です。

f:id:haruu0905:20210528220413p:plain

こんなデザイン書評や、

f:id:haruu0905:20210528220913p:plain

f:id:haruu0905:20210528220932p:plain

f:id:haruu0905:20210528220946p:plain

こんなものを作っています。

f:id:haruu0905:20210528221037p:plain

f:id:haruu0905:20210528221054p:plain

表紙を使った簡単なデザイン書評なども作っていきます!

まだまだデザインなどが勉強中ですが、見た目にも、読んでも楽しい本の紹介、書評を心がけていきますので、どうぞ楽しみに待っていただけると嬉しいです!

 

はるう

もう見えなくなった「もの」たち【異形のものたち:絵画の中の「怪」を読む】(中野京子)

 

 

我々は、何に魅入られ何を恐れてきたのか?

人獣、モンスター、天使、悪魔、魑魅魍魎まで。

その絵画に込められた「異形」の意味とは?

「怖い絵」の作者が人間の本質を「怪」の中で読み解く最新作!

 

私たちがもう河童や妖怪を見ることができないからそれに対して魅力を感じるように、西洋絵画の中に天使や悪魔やモンスターを描くことで、「人在らざるもの」に魅力を感じていたのかな?と思わせる一冊。

 

想像上の生き物は想像でしか描くことができないからこそ、画家によって様々な造形が生まれてかなり面白い。

 

確かに悪魔や天使はある程度の姿が決められているけれど、それも画家によってやっぱり違う。

天使だと「性別」というものが存在しないという定義があるらしいのだけれど、聖母マリアに受胎告知を告げるのは「男性っぽい天使」という造形が「妊娠=男性も女性も必要」ということを暗示しているみたいで、定義を超えた絵画はなんだかユニークに感じられる。

 

著者の中野京子さんが興味深いことを言っていた。

怪物や天使や悪魔の絵画を描くのは、圧倒的に男性画家が多いとのこと。

つまり、現代でもウルトラマン仮面ライダーが好きな男性に繋がるのでは?ということらしい。

高校生の頃、特撮が大好きな同級生(女子)がいたけれど、今でこそ怪物や「人在らざるもの」が好きなのは性別を問わない気もする。

現に私は女だけど「幻想動物辞典」という本をボロボロになるまで読み込んでいる。

 

会いたくはないし、出会えたところで困ってしまう存在たちではあるけれど、でも心のどこかでそんな「不思議な存在たち」がまだちゃんと存在していると信じていたいのかもしれない。

 

 

bookmeter.com

 

はるう